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一澤帆布:相続(争続)の果てに・・・

4 月 4th, 2011

兄弟間の相続トラブルで製造がストップしていた人気のかばんブランド「一澤帆布」が4月6日に復活するようだ。この相続トラブルは,まさに争続といってよいほどの長い年月をかけ,興味深い経緯をたどっている。

 
平成13年3月15日,一澤帆布工業㈱三代目社長で当時会長職にあった信夫が死亡した。顧問弁護士に預けられていた信夫の平成9年12月12日付けの遺言書(巻紙に毛筆で書き,実印を押していたという)の内容は,約9年の会社員時代を経て昭和55年から入社し昭和58年9月から社長となっていた三男信三郎とその妻恵美に信夫が保有していた会社の発行済株式6割強のうち67%を,会社の仕事に関わっていたが平成8年に退社していた四男喜久夫には上記株式の33%を,元銀行員で会社の仕事に一切関わったことがなかった長男信太郎には銀行預金のほとんどを相続させるというものだった(次男は故人)。
ところが,信夫の死後4ヶ月経ったころ,信太郎が「僕も遺言書を預かっている」と言って信夫の平成12年3月9日付けの遺言書(市販の便箋3枚にボールペンで書かれ,印鑑も信夫が常に使っていた「一澤」ではなく,信三郎が見たことも無い「一沢」の印鑑であったという)を持参した。内容は,信夫保有の会社の株式の80%を信太郎に,20%を喜久夫に相続させるというものだった。
民法1023条によれば,前の遺言が後の遺言と抵触する場合,前の遺言の抵触する部分は撤回されたものとみなされることになる。後の遺言の通りに相続すれば,信太郎・喜久夫両名で会社の株式の約62%を保有することとなり,信三郎は会社の支配権を奪われることとなる。

 
そこで,信三郎は,信太郎が持参した遺言書の遺言無効確認を求め提訴したが, 信三郎の主張は「無効と言える十分な証拠がない」として認められず,平成16年12月に最高裁で信三郎の敗訴が確定した。

筆頭株主となった信太郎は,平成17年12月16日に臨時株主総会を招集し,信三郎ほか取締役全員を解任し,社長となった(喜久夫と信太郎の娘も取締役へ就任している)。

 
信三郎は最高裁の決定前に別会社を設立し,一澤帆布工業から店舗と工場を賃借して一澤帆布工業の斜め向かいに店を構え,「信三郎帆布」ブランドとして製造を継続(製造部門の職人全員が信三郎を支持して同社へ転籍したようだ),その後,退去させられたが,工場と店舗を確保し,販売会社の株式会社一澤信三郎帆布を設立した。

一澤帆布工業は信太郎が支配権を握った後,平成18年3月6日から営業を休止していたが,喜久夫の技術指導の下で従前の帆布かばんを再現し,同年10月16日から営業を再開した。

 
ここからが興味深いのだが,今度は,(前訴では当事者となっていなかった)信三郎の妻恵美が原告となって,信太郎らを相手に,遺言無効確認と取締役解任の株主総会決議の取り消しを求めて提訴したところ,京都地裁の一審判決では請求棄却となったが,大阪高裁は,第一審判決を取り消し,信太郎が持参した遺言書は偽物で無効と判断した。

そして,平成21年6月23日,最高裁は,信太郎の上告を棄却し,これにより,平成12年3月9日付けの遺言は無効で,信三郎らの取締役解任を決定した平成17年12月16日の株主総会決議を取り消す(遺言が無効になると,信太郎らの保有する株式だけでは株主総会の定足数を欠き,手続に瑕疵があることになるため)との判決が確定した。

 
最高裁で一度は決着がついているはずなのに,なぜこんなことが出来たのだろうか?

おそらく,民事訴訟法上,遺言無効確認訴訟が,相続人全員が当事者となる必要のない類型の訴訟とされており,確認判決の効果がその訴訟の当事者となった者だけに及ぼされることになっているからであろうと思われる。つまり,平成12年3月9日付けの遺言書は,信三郎と信太郎の関係では「無効とはいえない」が,恵美と信太郎の関係では「無効」という判断がなされたということだろう。

 
ともあれ,裁判の結果を受け,平成21年7月6日,信三郎・恵美が取締役に復帰し,7月7日より一澤帆布工業は当面の間休業していたが,このたび,信三郎が元の店舗に戻り,一澤帆布ブランドを復活させると発表したという訳だ。
なお,一澤帆布工業の取締役の地位を失った喜久夫は,平成22年7月7日に,一澤帆布・信三郎帆布の両店舗のそばに,第3のブランド「喜一澤」として新店舗を開店しているようだ。

 

弁護士 横尾和也

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