最近の猛暑でバテ気味の今日この頃です。ビールが美味しい季節になりましたね。
とはいえ,私はどのメーカーのどのビールが良いといったこだわりを持っておらず,「コク」とか「キレ」とか言われても,よく分かりません。
先日,夕方頃に新阪急ビルの1階エレベーター前を通りかかったところ,屋上のビアガーデンの開店待ちの人が沢山いましたが,この中のうち,各メーカーのビールをブラインドテイスティングして言い当てられる人は何人いるのだろうか・・・。
さて,ビールといえば,経営学のマーケティングの教科書に必ず出てくると言っていいほど有名なケースに,キリンとアサヒのビール市場シェア(占有率)争いがある。
1970年代から1980年代半ばにかけて,キリンは60%強という圧倒的シェアを占めていた(一方のアサヒは10%程度)が,1987年あたりからシェアが急降下し,90年~95年にはしばらく持ちこたえたものの,96年から再び急降下し,ついに1998年にはアサヒに逆転されている。
1度目のシェア急降下の要因になったと言われているのが,1987年にアサヒが発売した「スーパードライ」の急伸だ。「スーパードライ」は「キレ」を求める若年層の消費者ニーズにあわせて「キレ」をさらに訴求した「辛口でドライ」なビールであり,いわゆる「ドライブーム」を巻き起こした。
キリンは1990年に発売した「一番搾り」のヒットによってシェア下落を免れていたが,1996年1月8日,キリンは「キリンラガー」を生ビールにすると発表し,既存のラガーファンからの猛反発を受けた。これが2度目のシェア急降下の要因と言われている「生ビール化」だ。
マーケティングの教科書では,この2点がターニングポイントとして挙げられているが,その背景を法的な観点から深堀していくと,興味深いことが分かってくる。
まず,1972年頃にはキリンのシェアが60%を突破し,独占禁止法に抵触する懸念があったという背景がある。このため,キリンはビール市場での成長戦略を描くことができず,清涼飲料水・ジュース(「キリンレモン」),ウイスキー(「キリン・シーグラム」),乳製品(「小岩井乳業」)等に多角化せざるを得なくなった。多角化し複雑大規模になったキリンの組織は1987年と1996年に大規模な組織変更が行われているが,奇しくもその時期は上記のターニングポイントと重なっている。組織変更によるゴタゴタでアサヒへの対策を誤った(もしくは対応が遅くなった)ところもあるのではなかろうか。
そして,1989年9月に酒類販売免許制度の許可基準が大幅に緩和され,スーパーやコンビニがビール販売市場に参入したことによって,ビールの小売価格に対する下落圧力が高まったことも見逃せない。それまで,メーカー,問屋,小売業者,国税庁が一体になって正常取引のもとに安売りを抑えていたというが,独占禁止法の再販価格拘束禁止の規制が強化され,1990年3月,公正取引員会は,ビールが自由価格であることをメーカーに表明させている。これにより,地方の特約専売店が経営難に陥り,これらのチャネルを販売力の源泉にしていたキリンは競争力を失い,徐々にシェアを落としていった。
このように,市場シェア争いをするにあたっては,独占禁止法の規制を踏まえた戦略を立案しなければ方向を誤ってしまいかねない。
また,「スーパードライ」は商標として登録していたばかりでなく,ラガーや他の生ビールと差別化するため,ラベルをシルバーにするとともに,ビンの首の部分にも小さなラベルを貼るという売り方の工夫もされていた。他社はその売り方を模倣しようとした(同質化戦略という)が,アサヒがこれを知的所有権の侵害だとして広報活動を行って新聞に取り上げてもらい,逆に宣伝として利用したという。アサヒは法的知識を利用した上手い売り方もしていたということだ。
要するに,アサヒがキリンのシェアを逆転できたのは,ビールの「キレ」や「辛口でドライ」というのが消費者に受け入れられたというよりも,ビールの売り方が上手かったということにむしろ要因があるのではないかと思う訳である(それが前置きのブラインドテイスティングの話に繋がる訳だが・・・)。 このキリンとアサヒのケースは,外部環境分析の手法にPEST(Politics,Economics,Society,Technology)というものがあるように,マーケティング戦略の立案には,法的規制(Politics)の検討が不可欠だということが分かる良い一例だといえる。
弁護士 横尾和也